2011年01月17日
教えるという事
先日あるアーティストが、日本の美術教育の現状をなげいていました。
つまり、美術教員が、自身の作品制作活動のために都合が良いので(仕事として)美術教員を選んでおり、本来の美術教育に精力を傾注できていないのは悲劇であるとまで言及しています。
なので、現場的には、自己実現のための作家ではなく本質的な美術教育者の採用が待たれるという事を暗に言っているのでしょう。
確かに「教える」という事は、テキストを無機質にトレースすることではなく、血の通ったコミュニケーションが必要。
そして、次の世代にしっかり伝えて行く、という決意が無ければ意味がありませんね。
我々、カラーの教育者の立場にある人間も、しっかり見つめ直す必要がありそうです。
つまり、美術教員が、自身の作品制作活動のために都合が良いので(仕事として)美術教員を選んでおり、本来の美術教育に精力を傾注できていないのは悲劇であるとまで言及しています。
なので、現場的には、自己実現のための作家ではなく本質的な美術教育者の採用が待たれるという事を暗に言っているのでしょう。
確かに「教える」という事は、テキストを無機質にトレースすることではなく、血の通ったコミュニケーションが必要。
そして、次の世代にしっかり伝えて行く、という決意が無ければ意味がありませんね。
我々、カラーの教育者の立場にある人間も、しっかり見つめ直す必要がありそうです。
Posted by kazuworks at 16:58│Comments(0)
│カラー
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