2009年06月16日
似合うものを身につける権利
ふと感じたことです。
動物や植物は必然と「似合う」、と言うよりその個体を語る個性を外見(色や形、質感)等で見せている。
さて、ヒトはどうでしょうか?
ヒトももし、原始時代のように全裸で活動するなら同じ、個性を外見で、髪や肌の色、等々で語るでしょう。
ところが現代人は着衣の上で、加えて女性はメイクやヘアカラー。
外見は自由になりましたが、混沌としています。
つまり、本来あった個性美から遠く離れるケースも多々あるのかもしれません。
しかし、本来ヒトには「似合ったもの、調和したもの」を身につける権利があると思うのです。
そのお手伝いを、私たちカラーリストは日々させていただいているのではないでしょうか?
動物や植物は必然と「似合う」、と言うよりその個体を語る個性を外見(色や形、質感)等で見せている。
さて、ヒトはどうでしょうか?
ヒトももし、原始時代のように全裸で活動するなら同じ、個性を外見で、髪や肌の色、等々で語るでしょう。
ところが現代人は着衣の上で、加えて女性はメイクやヘアカラー。
外見は自由になりましたが、混沌としています。
つまり、本来あった個性美から遠く離れるケースも多々あるのかもしれません。
しかし、本来ヒトには「似合ったもの、調和したもの」を身につける権利があると思うのです。
そのお手伝いを、私たちカラーリストは日々させていただいているのではないでしょうか?
Posted by kazuworks at 07:34│Comments(0)
│カラー
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